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zoom RSS 大陸棚調査前夜物語(後編)

<<   作成日時 : 2009/11/13 00:06   >>

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 ここから本番。


 さて、1983年の組織改正の際に新たに認められた組織のひとつに大陸棚調査室がある。この大陸棚調査の開始を推進した立役者の一人が、組織改正を当時水路部監理課総括補佐官として推進されていた大島氏である。大島氏は、大陸棚調査室設立とともに初代室長となって大陸棚調査の陣頭に立っていた。

 大陸棚調査室設立と同時に竣工した新型測量船「拓洋」は慣熟航海もそこそこに83年10月より大陸棚調査に従事したが、慣熟航海の短さが祟って最新の調査機器に初期故障が頻発し、船務・測量作業に加えて初期故障への対策にも追われ(データを取ってこられなければ、その航海はほとんど無駄になる)、時期柄台風にも見舞われていた。陸上班は陸上班で「拓洋」との連絡やメーカーへの修理手配や打ち合わせなど、陸海共同の忍耐と努力によって問題を克服していった。

 ところで、国連に大陸棚の延伸を申請するには大陸棚限界委員会に対して自国の200海里を超える大陸棚に関する膨大な調査データを提出する必要があるが、これには科学的な根拠に基づく必要がある(もっと有り体に言えば国連海洋法条約に定められた条文の字間・行間を読み解く必要がある)。そのためには学界の協力が不可欠であるので、大陸棚研究委員会を設けることになった。委員の面々は東大海洋研の奈須先生や友田先生、小林先生など地質学や地球物理学の大家が結集しており、各先生方の意見を伺いながらデータ解析と成果の取りまとめを行っていた。
  
 このような大陸棚の限界確定や領海基線確定には国連やIHO(国際水路機関)が共同でガイドラインの策定を行う必要があり、自国の権利を主張するためにもニューヨークやモナコに赴いて会議や作業に参加する必要があったのだが、なんと水路部には外国出張旅費が予算上認められていなかった。それまでは必要になるたびに無理くり捻出していたそうであるが、ここで以前に水路部組織再編で派遣されてきた鷲頭氏が本庁主計課長として就任した。大島氏はこれが機会とばかりに国際会議への参加の重要性を鷲頭氏に直訴し、同氏の尽力もあって晴れて水路部に外国出張旅費が認められたそうである。

 他にも岩崎氏が海上保安庁長官を務め、与田氏は内閣官房の大陸棚調査対策室長を務められたように、水路部でずっと頑張ってきたプロパーだけではなく、応援に来た人たちも、その後も海洋調査に関係のあるポストについて尽力されている。大島氏は退官後も大陸棚調査の追い込みのために民間に設立された大陸棚調査株式会社に身をおいて日本の200海里を超える大陸棚の調査に取り組んておられた。

 その結果、日本は2008年11月に国連海洋法条約に基づいて、大陸棚限界委員会に200海里を超える大陸棚に関する膨大な調査データを提出した。それは26年前の組織再編がもたらしたものであり、これら緻密に、丹念に、尽力された方々が海洋基本法に続く長い道程を築き上げてこられたことが日本の海洋調査における基盤となったのである。

 …今度は海洋情報(データ)管理が主軸になるだろうか。

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