海洋関連の会合122
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作成日時 : 2012/11/22 02:08
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駄目だこりゃ。
朝から渋谷へ。2日連続の環境教育関連の会合でしかも一日中ぶっ通しなので少々きつい。冒頭は三宅島にいたことのある中学校のT先生。スライドの量がやたら多く、時間内に発表できるかと思ったら、思いの外、手慣れた先生できっちり時間内に終了。昼食は海研のT女史と一緒に摂る。愛知の人で東京地区で開催される場合には出っ張ってくる由。何度か遭遇しているのだが、直接話したことが無かったので何よりの収穫。午後には成増のS氏が登場。遅れた理由を聞くと漢字検定があってその監督を務めていた由。午後の講演者には足立区のI先生がいる。この先生、都をはさんで本省に出向に来ていたことがあるという、かなり異色の存在だ(そのおかげであたしゃ逆に都の小学校に行くことになったのだけど)。今回、海関連の人間が多く、座ったテーブルは海ごみについて。ただ、授業案の提案をした人が生物寄りの人間なので、日常でやっていることと、微妙に海ごみに対しての考え方がいささか異なる。彼女は生物を中心として考えているので、発生した後の対応から考えているようなのだが、小生は発生起源とその抑制を中心に考えているので、海岸近辺の小学校でしか出来ないということはないと主張したのだが、どうしても生物中心という考えから抜けられない様子。途中で所属テーブルを変わって海研の島に行く。こっちは海ガメ手ぬぐいが教材として出来ているので、これをどう組み込むかが研究テーマであるが、彼女もまた沿岸域のトリックに陥っている。2日目は個別にそれをコンテンツとして仕上げるのだが、学校現場の人が少ないので参加者からの意見があまり参考にならない。ESD−JのM氏と立教大のA先生はもう少しその辺を考えてほしい。
週末はお台場へ。海洋学会の連中が「東日本大震災後の海洋科学研究と教育」と称してセッションを開催するというから行ってみたら閑古鳥が鳴いている有様。同時刻開催の学術会議による「高レベル放射性廃棄物の処分はどうあるべきか」の方が問題提起の質・内容ともに上だから致し方ないが。講演者がまた紋切り型の海洋物理・化学・生物から1名ずつ選出。おまけに恐ろしいほどレベルの低い内容。海洋学以外の研究者から「海洋学におけるビジョンとは何か」「ただの漁業復興では原状回復にしかならず、日本全体にとっての最適解とは言えないのでは?」との問いに対して、学会全体では何も言えず、会長単独では「個人的意見」として扱われるから何も出来ないとの由。これだけでも海洋学会の存在意義は皆無であるが、その後のパネルディスカッションで理科大に移られた前ICUのK先生がモニタリングの必要性について言及されたので、こっちも震災時にM先生の件を引き合いに出してブイ一つ流せなかったことを指摘したら、「何をしたらよいのか判りませんでした」と会長の東北大のH先生が言い出す有様。「白鳳丸」は出港できたのだから海洋大や東海大にあるありったけのブイをかき集めて乗せればよいだろう。その程度の臨機応変さもなく、事後に海洋学会内での取り決めをすることもなく、サイドビジネスに過ぎない放射能汚染水の調査に血道を上げている。畳みかけて「震災漂流物と放射能汚染水の調査に用いるブイは違うモノなのか」と問うたら「それは水産庁と文科省が」などと責任転嫁まがいのことを言い出している。震災漂流物は環境省の所管だ。この程度の見識と責任感しか持たない三流研究者ばかりならイタリアのように「リスク管理不十分」のかどで刑事罰を科した方が少しはマシではないか。
・・・海洋村の馬鹿度が目に余る今日この頃。
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