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<<   作成日時 : 2010/09/14 00:02   >>

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 人生いろいろ


 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100830-00000546-san-soci

 教職員をやってみて思ったのは東大や京大に入るような人間には2通りある。端的にいうと「天才的に学習能力が高い東大までの人」と、「(勉強という)努力を続けられる才能を持っている東大からの人」になるので無条件で「天才」「努力家」とは決して思わない。しかも学部や領域が違えば全く別の存在になる。理系でも理学部と農学部と工学部とでは全く考え方が異なるし、文系でも教養学部と文学部とではやはり異なる。よく勘違いされることが多いのだが、学部→修士→博士で進学すると一番頭が良いのか?答えはNOだ。常に出世レースで勝ち続けなければならない役人と異なり、頭の良い人間ばかりの中でさらに勝ち続けなければならないわけではないし、他の大学(理科大とか海洋大)から横すべりで入学する人間もいるので、どうかするとそちらの方が優秀だったりする(修士課程の教科書で海洋大なら学部の1年で習う内容が書かれていたのに驚嘆した覚えがある)。だから「東大までの人」と「東大からの人」になるのである。

 東大に限らず、日本の大学全般に外国人の教授は少ない。日本の大学教員は、山のような身の回り周辺の雑用(学内会議とか施設の営繕とか)が増えるので、日本語ができない教授は、意思疎通の面から敬遠されてしまう。東大が特に閉鎖的ということは無く、どちらかといえばむしろオープンな方かもしれない。なぜなら私立大学などでは教職員の大半が、自分の大学の出身者だったというような大学はいくらでもあるからだ。最近はどこの大学でも文理問わず、研究環境が著しく悪化しており、国際比較調査でも研究環境に不満足と回答している研究者の割合が非情に高くなっている。この職業は裁量労働制なので、体を壊さない程度に仕事をコントロールする必要があるのだが、なぜか研究以外の学会業務や雑用、学内外の委員などいろんな仕事が雪だるま式にどんどん増えてしまう。院生の頃は年中朝一番に研究室に出勤し、終電で帰ったり、論文の締め切りが近くなると研究室に泊り込んで3日間で3時間睡眠だったりとか、ハードワークをこなしていたが、もうそんな体力はない。

 また実験などで、実データをきちんと提示した上で案が出て議論が展開されるなら、評価される内容がだいぶ違うはずだが、分野によっては肝心の実データの提示がほとんどないので中身が非常につまらないものになる。両大学の最大の美点はそういう与えられた課題に対して「天才的に学習能力が高い人と、努力を(勉強という)続けられる才能を持っている人」が極めて多いと言う点である。少なくとも一緒に仕事をした人間はそうだった。日本ではこの十数年、大学改革の名のもとにすぐに役立つ学問ばかりが優先されてきたと不満の声を上げる連中も居るようだが、大学の切実な問題は、「学生を呼べるか」、「定員を埋められるか」にある。世の中の役に立つ、目的に合致した優秀な人材を育成できているなら、それはそれで立派だろう。船がJAMSTECの管理になったこと(=実質重視)、場所が都心から離れ(=参集しにくい)、海から遠い所に移ったこと(海の前が望ましい)、総合的海洋学の大学院ができなかったこと(教育組織≠研究組織)などによる。ある意味では、日本の海洋科学&工学の地はJAMSTECに移りつつあると言えるのかもしれない。
 
 運営費交付金が、大学生や大学院生を育てるための教育研究費に使われず、人件費や光熱費にまわるようでは意味が無い。もっとも大学院生は、自力で研究する力が育っているはずなので彼らに教育研究費は必要ないし、自力で獲得すべきだ。奨学金制度もあるので金のかかる学部によっては授業料を私立の二分の一ぐらいに上げてもいいと思う。そして本来の意味で大学生が日本を背負えるように使うべきだ。ここは日本の教育研究のためにぜひ重点的に使って欲しい。法人なのだから、企業との共同研究などで収支トントンでもいいから儲かることを考えてもいい。本当に研究したい博士は一度企業へ行くべきだし、企業からの大学生・大学院生の引き抜きがあってもよいと思う。最も大きな問題は、助教は、大学において最下位の教員でありながら、その下に任期を1年ごとに更新する多数の博士研究員がいることだろう。それで准教授並みの人事になっているのだろうが、現行の公募では優秀な若手を抜擢するのではなく、博士研究員として何カ所も渡り歩くような者を選ぶシステムになっている。これでは、日本の科学界は沈んでしまうだろう。日本には国立大学が90ほどあるが、これだけの数の大学を国が全て運営する必要はあるのだろうか。どうも日本の研究開発プロジェクトって、

「まんべんなく予算を配分(バラマキ)→結果として1つ1つに投下されるリソースが少なくなり、得られる効果が薄くなる」

 という道をたどっている気がする。国公立大学が統廃合されれば、教授ポストが少なくなり、東大や京大などの優秀な若手教員が、出世をあきらめて海外企業の研究所などに就職していくこととなる。社会の指導者となる人の人格を豊かに形成するための教育制度が明らかに欠けている。人間形成の豊かさは上司のとなる教授の評価や効率の査定で達成できるものではあるまい。博士を取った者が、何年も博士研究員をすることなく、本人の適性に応じて、科学行政、現業に近い調査機関、高専以下の教師、民間会社にどんどん進んでいく状況にすることが重要だろう。ちなみに本国の大学では教科書持ち込み可のテストがほとんどだ。本国では「本に書かかれているようなこと」をどれだけ覚えられるかはそれほど重要ではない。本に書かれていることなら、本を見ればよいからだ。それではミリオネアのようなクイズ番組と大差ない。本国の試験で、評価されるのは知識の多寡ではなく、その人の考えの独自性である。それに対して日本のテストはほとんど「記憶力」重視というか偏重である。日本の記憶力偏重の教育は、中国の科挙の影響だと思う。しかるに所長(理事長)が海洋学者ではない、顔が海洋学ではない所が海洋研究のリーダーシップを取ろうとしても、誰も相手にしないだろう。

 http://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20100819-00000003-jij-pol
 http://remote.seesaa.net/article/155614390.html

 ・・・出自より当人の資質の問題だと思うが。




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