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<<   作成日時 : 2010/04/08 00:26   >>

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 だから無理だってば。


 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100329-00000649-yom-soci

 独立行政法人化後の国立大学は、国からの運営費交付金が年々減額されているため、これ以上学費を下げることはできない。私学に至ってはもはや学費は増加の一途をたどっている。その結果、世界でも異常なほどの高額な借金を、若手研究者が背負うことになってしまった。奨学金とはいっても、欧米のスカラシップ(給付型)と違い、日本の実態は単なる「教育ローン」であり、おまけに6割以上の学生が借りているのは、利子がつく第2種奨学金である。これは無職の学生に多額の金を有利子で貸すという明白な金銭貸借契約行為であり、返済の当てもなくむやみやたらに貸すのは改正貸金業法(年収の3分の1を超えるなど、返済能力を超えた貸付けは禁止)に抵触しないだろうか?

 ところで日本科学者会議の主張する「授業料の免除や奨学金など、大学院生に対し欧米に劣らない経済支援を行うこと」には同意するが、「学術と教育に対する公的資金を欧米並みに増額し、大学教員などの増員を図って若手研究者が定職に就けるようにすること」には同意できない。政策的に行うのであれば予算が有限である以上、取捨選択が必要になるが、「不要」と判断された研究分野の人間からはどうしたって批判が出るし、逆に「優遇」されている分野だからといって成果が確実に挙がるというものでもない。 セーフティーネットの存在さえあればよく、研究には競争は必要である。

  「今のままでは、高学歴の若手研究者がどんどん使い捨てられてしまう。これは、本人のキャリアの問題にとどまりません。親の教育投資が無駄になるばかりか、税金の無駄遣いにもつながる。我が国の学術の発展そのものにも、決定的なダメージを残すはずです」

 残念ながらそうは思わない。ポスドクの働き口は昔よりずっと多くなっていると思う。それが証拠に「研究者の大量養成」ではなく、技術職員やサイエンスコーディネーターとして生きていく道が残っているからだ。専門分野を特化&細分化させすぎて自らの居場所を減らしているという発想は何ゆえ無いのだろうか?それがために「何処の大学を出たか」が問題とされ、「何を学んできたか」が問題とされないままに、新卒採用を行うため、採用コストがかかり、しかも戦力になり得る人間を育てることも出来ずに、結局年収の極めて高い一部の企業のみが優秀な人材を早く確保して美味しい思いをするだけのシステムなので、その余りしかもらえない企業からは「使えない人間を寄越すな」と言われてしまうのである。だがこれを全面的に企業側の責任とすることは出来ない。

 なぜなら日本の学校教育は小〜大学院に至るまで悉く『知識を覚えること』にあまりにも偏り過ぎており、教員は一人一人の能力・個性を引き出すような教え方を全くしていない。その結果、本人に「調べる習慣」が全く身に付かないまま、社会に出ることになる。だが、現行の教育システムで中学や高校において非詰込み型教育で生徒の個性を重視した指導を展開したところで、結局大学に行くことが出来なければ、技能を要する専門系を除いてほとんどの場合、将来(生涯所得や立身出世)に響く。そう考えると、まず「とにかく大学へ行かなくてはならない」という既存の教育システムが問題(より正確には「とにかく大学を出て"新卒"の称号を手に入れる必要がある」)になる。その結果、企業(社会)の需要と(大学の)供給のミスマッチが発生してしまうのである。これを是正しない限り、日本の科学技術分野に未来は無い。

 ことに学問に対するあり方や研究室運営の考え方は、それぞれの教授によって全く違う。まるで泥棒のように指導の痕跡を残さない責任回避の教授、学生とむやみやたらに話したがるのに中身のない話しかしない孤独な教授、居酒屋のはしごまで学生に付き合わせようとする迷惑千万な教授、ヨイショしていれば自由にさせてくれる放任教授、従う人間は厚遇し、逆らう人間は徹底的に排除する天上天下唯我独尊の勘違い教授、とおよそ奇人変人の類には事欠かない。大学全入時代を前にして、大学での教育の実質がより問われる時代が来ているにもかかわらず、大学の中の流れはそのようになっていない。大学教員の評価=担当した学生の数だったりするからだ。

 その結果、同じ大学なのに、専攻間や研究室間で醜い骨肉の争いをしてでもとにかく自分の研究室に学生をたくさんとって評価を上げよう、ということになる。その結果、受験生向けの説明会では比較広告まがいの強引な自画自賛的勧誘が横行し、懇親会でお刺身なんて例も珍しくはない。学生の数が少ないと、どんなに質のよい教育をして、どんなに優秀な人間を育てたとしても、表面的な数値しか見ないから評価は下げられてしまう。かくして学生の数ばかり増えても就職先はない。そして、自分のプロジェクト関係のポストは自分のところの学生用に確保しているから、「研究員公募」というのは出来レースであることも多い。

 特に短絡的業績評価は、技術、研究だけでなく教育も崩壊させている。しかも評価が短期的なだけでなく、表面的である。論文の数で云々なんて言っているうちはいいほうで、共同研究をしたかどうか、外部資金を獲得したかどうか、などとどうでもよい項目まであるから、開催意義のよく分からない共同研究集会や、金さえとってくればいい、みたいな研究課題がやたら多い。そういうのに駆り出されるのは博士課程の学生+若手任期制研究者。はっきり言って迷惑。ましてや現場作業に参加したか、なんて項目があると、素人同然の人間が無理に現場に来たがるから、実際危険だったりもする。

 …辞表の書き方、上司との軋轢の苦労ならば、たぶん他の人よりかなり多い。

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