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zoom RSS 探求型科学教育の必要性

<<   作成日時 : 2009/08/10 07:50   >>

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珍しくI氏と同意見なので。

 先日発表された全国学力・学習状況調査の分析・活用の推進に関する専門家検討会議(第13回)の配付資料2「お茶の水女子大学委託研究 (PDF:533KB)」に親の収入は子供の学力に比例するという報告がなされている。要は個人情報保護法のおかげで学習能力のアンケートが取りにくくなったので、それを保護しつつ学力調査が可能な新しい手法を開発する調査研究である。

 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/045/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2009/08/06/1282852_2.pdf
 http://blogs.dion.ne.jp/hiroichiblg/archives/8643683.html#more

I氏はいつものように誤読したようであるが、同報告書では以下の7項目を結論として挙げている。
(1)世帯年収の高い家庭ほど子どもは高学力である
 (2)学校外教育支出の多い家庭ほど子どもの学力は高い。そして、学校外教育支出は家庭の経済力と強い関係がある
 (3)保護者の子どもへの接し方や教育意識は子どもの学力と関係している
 (4)保護者の普段の行動もまた子どもの学力と関係している
 (5)世帯年収を考慮しても、保護者の行動と学力との関係は残る
 (6)子どものテレビ視聴時間が少なくなればなるほど正答率は高い
 (7)保護者の意識や行動は、子どもの学習への「かまえ」と関係がある


 (1)と(2)では確かに塾や習い事への支出の高低が子供の学力と相関が見て取れるとしているが、(3)〜(7)で明確な結論は述べていないものの、保護者と子供の関係によるところが大であると素直に読み取れれば理解できる。これをI氏は「報告は経済格差による学力格差の解消の責任を家庭に負わせるための証拠集め」と理解したらしい。そういうのは一般的に「偏見」という。

研究分野(学問)ではそこに一度足を踏み入れると「根拠」が常に求められるわけで、根拠を求めることこそが研究活動といえる世界である。先人の試行錯誤に学び、自身も試行錯誤を積み重ね、それを後代に伝えることで、次第に「真理」へと近づいてゆく、そんな作業の繰り返しである。そのため「間違い」は許容されるのだが、「根拠が無い」は許容されないのである。狭い知見で恐縮だが、これまで教わったことのある2つの学問での定義は以下の通りである。

 「科学とは既存の知見・定説を疑い、更新することによって、経験の整合・体系的理解を深める過程であること」 
「歴史学とは、史料と向き合い、史料批判を忘れずに、史料の声を聞き取ることで知見の整合・体系的理解を深める過程であること」

 理系文系問わず、基本路線に差異はない。これらは「分かりやすさ」、「手っ取り早く結論」、「それを真の模範解答として安心」を求めようとする問題へのアンチテーゼであろうと思うので理解は出来るが同意は出来ない。なぜなら「分かりにくいのは読み手が悪い」と開き直るわけにも行かないからだ。その先に待っているのは拙稿「ゲーム業界の凋落」でのエピソードである。

 科学にせよ、海洋にせよ、リテラシー教育が必要なのは、少なくとも「自分でそれを読んで(または体験して)考える」ということを現行の教育の中に取り入れられないかということである。リテラシー教育において必要なのは、学問の結果ではなく、むしろ学ぶプロセスの方を一般に普及できないかということである。これが探求型教育である。これをI氏やその他の理系の連中はなぜ理科教育だけに固執するのかが小生には理解できない。文系でも探求型教育はできる。

 上記を受けて最後のI氏のこの意見は否定する。

 「特に優れた人材を育てる方策がもっと必要である。ここでいう優れた人材とは塾で高まる程度の学力をもった人間ではなく、世界社会のブレークスルーに貢献する個性的な人材である。このような人材を世に埋もれさせないためには、児童・生徒の個性を尊重する学校教育・社会体制と不利な家庭環境にある優秀な児童・生徒の勉学の機会を保証する制度を確立する必要があると思う。」
 
 馬鹿か?絶対に駄目。天才海洋物理学者ストンメル氏の全面奨学金の話から来ているのだろうが、それは逆格差社会を生み出すことにしかならない。「米語を解さない米国人」のように「日本語を解さない日本人」の創出やカリフォルニア州のように財政破綻して初等中等教育の公共教育サービスすら削減されるような国のシステムを真似て何をしようと?一部の英才教育のために全体の層の低下を許容したら余計に学力の低下を招くだろうに。

 …「小学校教師の方々には理科は特別な科目ではないという意識を持って授業をしてほしい」のならば、教えられるような教材でもこさえたらどうか?少なくとも「教える」ということについて研究者はプロ足り得ないのだから。

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